皆通信キャリアの出身ばかり。三顧の礼で迎えた人もいる。心強い。僕は嬉しかった。ようやく本格的に闘える体制ができた。役割分担を決めて、僕は@業界団体を拠点にした官庁対策(政策問題)、A広報対策、B社員の一体化策の3点に軸足を移し、取り組んだ。
政策問題では、前年から何度となく政府への意見書を書いており、今度は業界の重鎮達を説得して「業界を代表する意見」にまで持っていった。そうしたら局長クラスや事務次官にまで会えるようになった。
取材にくる新聞記者や業界誌の記者と毎週2〜3回の面談をこなしていくうちに、記者の方々が我々の意見を理解し共感を持ってくれた。彼らが我々の情報発信基地になり、そして新たな情報源になってくれた。
社員は既に300人を超えていただろうか? 外国人vs.日本人、日本人同士の軋轢が目立っていたこの時期、チームワークの確立と一体感の醸成が急務だった。僕は部下のH君と相談して全社のソフトボール大会を企画し実行した。部単位と営業所単位でチームを編成し、家族連れの大きな大会になった。僕は外人チームに入った。そして例によって最も野球センスのいいアメリカ人を監督にした。野球が大好きなアメリカ人が、ゲームに夢中になり、ボールを巡って日本人と本音で怒鳴り合った。こんなこと今までなかったぞ!大成功だ!この大会はその後、皆の共通の話題になった。
受験失敗のショックから僕はもうすっかり立ち直っていた。いやむしろショックに打ちひしがれているヒマがなかったというほうが正しいかも知れない。
朗報が舞い込んできた。前年度の特殊事情を踏まえ、今年度も引き続き研修生候補として、会社が僕を特別に認めることになったという(つまり合格したら費用を会社が負担する)。異例だ。聞けば社長が方々に手紙を書き、働きかけて「なんとかこいつに再度チャレンジさせて欲しい」と頼み込んだ由。何たる厚意、何たる温情。僕は男として、部下として、胸が熱くなった。「やります、社長。今度こそやって見せます・・・。」
再挑戦が決まった。会社の幹部一人一人に、そして部下の一人一人に協力を要請した。「昼間やることはやるから、夜は勉強の邪魔しないでね。」19時になると会議室にカギを掛けてこもる作戦がスタートした。途中までやりかけていた「電話帳」を引っ張り出した。

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