2005年03月26日

★B-School★

今年もUS NEWS & WORLD REPORT誌とBUSINESS WEEK誌が、アメリカのビジネススクールのランキングを発表した。受験生へのガイドとして発表されているもので、入学者のG-MATの平均点、卒業後の年収、プログラムの充実度、入学生の大学卒業時の成績、卒業生の満足度等々を数値化してランク付けをしているものである。

顔ぶれは7−8年前とほとんど変わっていない。各校それぞれに伝統があり、カラーがある。7年前の受験生として受けた印象を中心に、短歌にしたものがある。今年のUS NEWSのランキング順にTop17校分披露しよう。読者の中にはこれらの卒業生、在校生、関係者もおられると思うのでお断りしておくが、これはあくまで一受験生の勝手な印象であって、実態を正しく表現していない面があることを、ご了承いただきご笑覧願いたい。

「ハーバード いくらランクが 動こうと なんといっても 知名度抜群」
「スタンフォード なんでそんなに 難しい 700なんて そんな取れない」
「ウォートンは 評価は高いし 文句なし 銀行増えたが ちょっと気になる」
「MIT スマートだけど 工学系 数字ばっかり 追いかけるのも」
「ケロッグは のびのび自由で 環境も 抜群 マーケはナンバーワン」
「コロンビア 点数ばっか 見るなよな ほんとに安全? ハーレムの中」
「シカゴはね みんな暗いよ 卒業生 ノーベル賞が 多いとはいえ」
「バークレー サンフランシスコが 目に浮かぶ はやる心は ハワイのあたり」
「ダートマス 雪深くても 紳士的 スモールサイズが 良くも悪くも」
「ミシガンよ 頑張ってるね 最近は 企業戦略 リーダーシップと」
「急速に 伸びてるデュークは いい校舎 だけどないのか ほかに良いとこ」
「バージニア ミニハーバードと 呼ばれても 悔しくないのか そんな言い方」
「どうしても 軟派イメージ 抜け切れぬ 西海岸でも UCLA」
「友達に なるのも悪くない エール 集まる他国の 若手官僚」
「台湾の 李登輝も出た コーネルは 田舎も田舎 ほんと ど田舎」
「NYU 若いのばっかが 気に食わぬ なめるな中年 おやじパワーを」
「カーネギー なんと窓口 みな女性 やさいい感じも 授業はきついと」
ニックネーム りっち(BBキッズネットワーク主宰者) at 04:00| Comment(1) | TrackBack(0) | MBA留学受験記

2005年03月23日

★さくら咲くふみ★

2年越しのチャレンジの結果が出ようとしていた。目を瞑ればキャンパスの風景が浮かんでくる。そこを自分も歩きたい。東京の喧騒を逃れ、組織対組織の利害対立を忘れ、規制・制度のしがらみから離れて純粋に勉強したい。その想いは頂点に達し、意欲は沸点に届こうとしていた。

綺羅星の 如き学び舎 夢に見る シスコ ボストン フィラデルフィアぴかぴか(新しい)
サンフランシスコ郊外のUCバークレー、ボストンのハーバード、フィラデルフィアのウォートン、特にこれらの学校がまぶしく思えた。
しかしこの際どこでもいいのである。
どこも一流。さしてレベルに大差はない。

ついにきた 夢にまで見た 桜咲く カーネギーとは メロンの味よ
そして、ついに、ついに届いた。手(チョキ)はじめての合格通知はカーネギーメロン大学からだった。
郵便受けに刺さっていたのは、実はまたもや小封筒だった。しかしそれは妙に分厚い。
もしやと思った。封をあけると「Congratulations!」の文字が目に飛び込んできた。
飛び上がるほど嬉しかった。空に舞い上がるような気分だった。飛行機

消えるなと 枕元置き 眠りしは 初に手にせし 合格通知
ああ、この安堵感・・・、この喜び。
「間違いじゃないよな」と何度も読み返す。
世話になった電話帳を手にする。あれほど重かった問題集がこの日は軽く感じた。
夜、合格通知を枕の下に置いて寝た。
消えないように、夢でないようにと思いながら・・・。
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Carnegie Mellon(カーネギーメロン)に続き、このあとCornell(コーネル)、Yale(エール)、そしてUC Berkeley(バークレー)から入学許可を得、考えた末にUCバークレーに入学することになった。

17校もの数を受験したのは前例がなく、38才は会社史上最高齢といわれた。
17戦して4勝13敗。悪戦苦闘、凄まじい闘いではあった。
ニックネーム りっち(BBキッズネットワーク主宰者) at 00:21| Comment(0) | TrackBack(0) | MBA留学受験記

2005年03月22日

◇たかが留学されど留学◇

不安も極地に達すると、明鏡止水の心境とでもいうのだろうか?「なるようにしかならない、やれることは全てやった、だから悔いはない。」という潔い気分なる。心は変化するものである。

精魂を 込めて作った このエッセイ 自分の宝さ 受からなくとも
TOEFL/G-MATの低得点のせいで、一時審査で足切りにされているに違いない。
でもこのエッセイは自分の情熱と魂を込めて作り上げたものだ。
多少誇張はあっても全て事実。
強くアピールし、かつ謙虚さも行間に滲ませた。

敵は内 決して他人と思うまい ダメならお前の 努力不足と
敵は中国人受験生でも、韓国人受験生でもない。
アメリカ人受験生や入学選考委員でもない。
自分だけである。
決して人は恨むまい。

なぜなのか なぜこれほどに 苦しむか たかが留学 されど留学
確かにそんなに思い詰めるほどのことではないかもしれない。
たかが2年間の留学である。
行かなくても路頭に迷うわけじゃあない。
しかし自分で決意した目標である。
初心は少しも変わっていない。
とにかく自分自身のため、そして家族のために行くと決めたこと。
イノシシ年生まれの僕は、壁を破るまで猛進することはあっても、
壁に当たって引き返すことはできない。
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さてこの年出願した先はざっと以下の通り(ビジネススクール名称)。
・ハーバード
・スタンフォード
・ペンシルベニア(ウォートン)
・コロンビア
・ノースウェスタン(ケロッグ)
・MIT(スローン)
・シカゴ
・UCバークレー(ハース)
・ダートマス(タック)
・ミシガン
・デューク(フークア)
・バージニア(ダーデン)
・カーネギーメロン
・コーネル
・UCLA
・エール
・ニューヨーク
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米国には上記以外にも数百という大学が修士課程でMBAプログラムを提供している。また欧州にもフランスのINSEAD(インシアード)、スイスのIMD、イギリスのロンドンビジネススクールといった名門校がある。 
ニックネーム りっち(BBキッズネットワーク主宰者) at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | MBA留学受験記

2005年03月21日

▲切ない気持ち▼

人間の心理とはデリケートなものである。5つも連続して不合格通知が届くと、「全部駄目かもしれない、自分は駄目な人間ではないか」という気持ちになってくる。今更考えても結果は変わらないのに、あれこれと考えてしまう。しかし結果がどうなろうとも、もがき苦しんだ自分の心の足跡は紛れもなく自身の歴史である。歴史は言葉に残さねば風化する。人にはわからぬこの切ない気持ち、あの苦しみ。何かに表し残すなら、今この時をおいて他にあろうか。

「またしても 610の壁当たる 去年よりかはずっとましでも」
駄目なら、恐らく敗因はG-MAT。何度もこの壁にぶち当たった。

「どうしたら 650取れるのか 教えてほしい 金で済むなら」
金なんか使わなくとも、思わぬところにヒントがあった。

「破れない どうあがいてもG-MAT 壁を破るは 頭か努力か」
スコアUPの方法を考える頭の努力も必要だった。

「ただひとり たたく深夜のキーボード いつまで続く この長い道」
深夜オフィスでただ一人 キーボードを打つ音が響く・・・。

「エッセイを どこまで読んでる 大学よ ちゃんと見てくれ 俺の業績」
エッセイさえ読んでもらえれば・・・どこでも受かる自信はあった。

「戦略を 間違えたのか 戦術か 壮大な夢 書いたとはいえ」
そのエッセイだって、問題があったのかもしれないという不安。

「年齢か 経験過多が 玉に瑕 だけど意欲は 誰にも負けじと」
学生としてはシニアでも、経営者を目指す上ではまだまだキッズだ。

「楽観に むち打つ手紙は 小封筒 何がまずいか 教えるものなく」
やっぱり点数なのかそうでないのか、落ちた理由をはっきり書いてほしかった。

「この想い 届け一校だけでいい どうせ行くのは 一校だけなら」
一通だけでいいから大きな封筒が欲しかった。

「周りはね 難なく受かると 思ってる そんなものでは そんな楽では」
すべての受験生の気持ちを代弁して言いたい・・・

「一日も 早く合格 来てほしい 去年の屈辱 味わいたくなし」
また駄目だったら、どうしようか・・・人に合わせる顔がない。

「このことよ 藁にもすがる 思いとは 拾う神あれ 捨てる神より」
ニックネーム りっち(BBキッズネットワーク主宰者) at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | MBA留学受験記

2005年03月20日

■そして和歌との出会い

合否発表・・・通常それは一斉に発表されるものだが、アメリカの大学院への留学試験の結果は封書で送られてくる。合格なら大きな封筒に各種の入学手続書類。そして不合格なら小さな封筒に一枚の手紙。2〜4月、出願した各学校からの連絡を待つ落ち着かない日々。不安と期待の交差する精神状態の中で、この気持ちを何かに書き残しておきたいとう衝動に駆られた。その時思わず一片の俳句が頭に浮かんだ。そして堰を切ったように次々と5-7-5、5-7-5-7-7の言葉があふれてきた。

「待つや待つ 今日か明日かと 合格通知」
もう来てもおかしくない、でも来ない、いつ来るのか・・・・

「メール受け 見てはため息 今日もまた 合否通知は 今どのあたり」
そうしているうちに、立て続けに5校から不合格通知が届いた。
さすがに大きな不安に駆られた。やっぱり点数が足りなかったか・・・・・。

丁度、長野オリンピックで日本のジャンプの選手たちが大活躍していた。

「大空に 高く飛び出す ジャンプ陣 明日こそ我も 飛ばんとぞ思う」
自分も合格通知を持って表彰台に登りたい・・・。

「何度でも 飛ぶぞ 合格夢掛けて いかに競争 厳しくなるとも」
ハーバードもスタンフォードもダメだった。でもまだかなり残っている。どこかが僕の論文を読んでくれているはずだ。あきらめるな・・・。

「最後まで あきらめるなと 君の声 君のお陰と 言える日が夢」
励ましてくれる人がいた。
ニックネーム りっち(BBキッズネットワーク主宰者) at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | MBA留学受験記

2005年03月19日

△自分を表現する▽

自分を表現するのというのは難しいことだ。自分は一体どんな人間なのか?色々な人間を見て、人間というものを考え抜いた経験がなければ、自分を特徴付けることなんてできる訳がない。しかもそれを文章で書き表す、なおかつ英語で表現するとなると至難の業である。しかしこれをためらっては米国では通用しないし、国際社会で信用を作ることもできないのが現実である。留学試験としてのエッセイ(論文)は、僕にとってそういう初めての経験だった。

「謙虚」という言葉が好きである。成功してもうぬぼれることなく、常に課題を模索する。ほめられても、自分の力でできたとは思わず、周囲の人のお陰だと思う。男女を問わず僕はそういう人に強く惹かれる。お前もそうあれと育てられてきた。謙虚さは人間として一つの大きな美徳であることは間違いない。国際的に比較しても、これは伝統的に日本人が持つ美徳である。

逆に、自分は正当に評価されていないと不平を言い、自らの欠点を隠して人の長所まで自分のものとしてしまう人間も少なからずいる。相手の理解を得るために、主張することは主張し、闘うところは闘うのはいい。しかしそれを他人がどう評価するかについては謙虚でありたいものだ。

さて問題のエッセイである。どんな命題なのか、その例をいくつか披露しよう:
◆あなたのこれまでを振り返り、あなたの今の境遇にあなたを導くことになった「決断」について論ぜよ。また、違った決断をすべきであったのかどうかについても説明せよ。

◆あなたは現在の仕事のどういうところが好きで、どういうところが嫌いか?明日もしあなたが上司の地位に昇格したとしたら、部下の不満(もしあるならば)をどのように解決するか、前の上司と比べてどういう違った対応をするか?

◆あなたがこれまでに経験した倫理的なジレンマについて述べよ。そしてどのようにその状況に対処したのかを論ぜよ。

◆あなたの社会人としての中長期の目標(プロフェッショナルゴール)は何か?またあなたの経歴において、なぜこの時期にMBAが必要なのか、目標に対してMBAがどのように役に立つと考えているのか、何をこのプログラムに求めているのか、そして何故我が校なのかを論ぜよ。

◆あなた自身について言い足りないこと、これまで表現し切れなかったことを述べよ。

ざっとこんな内容である。各命題に何文字以内と制限がついている。仕上がりは全部でA4で8〜10ページ程度。この空間に思いを全て凝縮しぶつける。最後の勝負どころだ。
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洗濯ものを取り込んで整理したあと、僕はPCに向かった。
ここでは「謙虚さ」というものは少し引っ込めなければならないらしい。
ずうずうしく自分をアピールするのは性に合わないが、しょうがない。
明確な表現でドラマティックに言い切るんだ・・・。
夜食はラーメンをやめてスパゲッティーにした。

入社以来手がけたプロジェクトの数々・・・
これを全て思い返して整理する作業。自分の功績に意義付けする作業。
そしてそれらに一貫する何かを縦糸で通す作業。
適切な英語を探し出し、最もアピールする言い回しを考える。

辞書を引く手つきは素早く、英文を追う目の動きも機敏だ。
ビタミンAとDHAが今ごろになって効いてきている(おそいよ)

深夜、そっと病院に見舞いに行く。
だいぶ症状は落ち着いている。
「論文、頑張ってね・・・・」
「うん、でもこんな大変だと思わなかったよ。」
「・・・できるわよ、あなたなら・・・」
「・・・・・」
「家事もやらなきゃいけなくなって・・・ゴメンネ。」
「へへ、家事は合格する自信ついたんだけど・・・留学の方は点数が低いから不安なんだ。」

家に帰って子供の寝顔を見る。
何事もなかったようにスヤスヤ眠ってる。
「パパ、頑張るからね・・・みんなのためにも・・・」

再度PCに向かう。今まで書いた英文を読み直し、目を閉じる。
やはりまだ表現が甘い。婉曲すぎる。中途半端な自分に見えない鞭を打つ。もっと明確に、もっと力強く!第一段落が勝負だ。ここで読み手を惹きつけられねば負ける。

いや負けてたまるか。中身は負けない。とんかつソース並に濃いはずだ。
ビジネススクールよ待っていろ。とんかつを一気に食わせるような文章を書いてみせる!
ニックネーム りっち(BBキッズネットワーク主宰者) at 16:45| Comment(0) | TrackBack(0) | MBA留学受験記

2005年03月18日

◆もう一つの試練◆

順調な時は長く続かないものである。そして突然問題が発生したりする。しかし何も問題が起きていない時にこそ、実は問題の芽が生じ進行していることが多い。仕事と勉強に没頭していた僕にとって、潜行していたのが妻の健康問題だった。一方不調・不運にあっても、決して悲観する必要はない。何故ならそれは、地に脚がついていない自分の現実に立ち返ることだからだ。確かに試練は辛いものである。しかしその中に再起の芽も隠されているとも思える。発想を切り替えれば、試練は自身を鍛える絶好の機会であり、次の成長への節目とできる。

真夜中に、妻がうめいている。「おなかが・・・痛い・・・」。顔色も悪い。普通ではない。救急診療の病院に駆け込んだ。待合室で医師の診断結果を待つ。「慢性膵(すい)炎」。前年急性肝炎で入院したことがあったが、肝機能の低下が膵臓にも影響を及ぼしていたようだ。肝炎も再発している。即刻入院となった。

その日から家事との格闘が始まった。小学生子供は11才と8才。朝食と夕食を作り、掃除に洗濯。家事は前年一度経験したが、その時は2週間程度。どうにかこなしたが今度は最低1ヶ月は掛かるという。妻の実家は義父の起業という事情があって協力を得るにも限界があった。入院先の大学病院との行き来は往復で40分掛かる。再び時間の制約というプレッシャーが、重くのしかかってきた。

TOEFLは、617点まで来ていた。できればあと3点欲しい。
G-MATは、610点まで来ていた。あと30点欲しい。
しかしこれが頭上の鉄板のように堅く、破れない。でも残された時間がない。

洗濯物を干しながら僕は点数が伸び悩む原因を考えた。どうも思考力の問題ではない。ではなんだろう?目の前の洗濯物には、さまざまなものが混じっている。下着、靴下、ジャージ、タオル・・・。取り込んで3人毎に整理してタンスに入れるのも大変だ。時間が掛かる。「あー面倒くさい」。ジャージ、靴下、下着、あ〜あ、また靴下・・。これは息子の分、これは娘、これは自分、また自分、娘、息子・・・。

「待てよ・・・」。
G-MATも同じじゃないか?問題のパターンと解答のパターンがある。でも頭の中で整理できていない。頭の切り替えに時間を少しロスしていたんじゃないか。下着と靴下とジャージとタオル・・・x 3人のマトリックスだ。考えてみたら10パターンくらいしかない。そうだ。それぞれに干す位置を決めておけば、もっと要領よく干せて取り込めるはずだ。それで何分間は早くできるはずだ。そうか、G-MATも洗濯も同じなんだ!

休日家族の昼食を準備しながら僕は考えた。
「どうも数学のパートの失点が多いなぁ。英語のパートはどうしてもアメリカ人にかなわない。でも日本人は数学なら勝てる。そうだ数学で満点近くとらないと国際競争に負けてしまう。日本人は日本人らしく、強みを発揮しなきゃ・・・。」
→僕はスパゲッティ―をやめてラーメンにした。

夕食を作りながら僕は考えた。
「やっぱり年齢のせいもあるのかな?英文を読むスピードが遅いんじゃないか?目を動かすスピードが遅いのかも。情報のINPUTとOUTPUTのスピードが遅いのかもしれない。せめて五感の感度を上げなくては」。ビタミンAとDHA・・・・。
→僕はほうれん草をゆでて、魚を焼いた。食材を見る目つきが鋭くなった。

やっとヒントをつかんだのに、ちょっと遅かったようだ。試験に再挑戦しても願書提出に間に合わない。あとは論文に限られた時間を投入するしかない。
もっと早く、家事をやっていればよかった・・・。
ニックネーム りっち(BBキッズネットワーク主宰者) at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | MBA留学受験記

2005年03月16日

◇米国ビジネススクール事情◇

だいぶ環境が整って、僕はかなり受験勉強に集中できるようになった。火曜、木曜の夜と土曜の昼間は専門学校に通い、月、水、金曜の夜は会社の会議室へ。1時〜2時頃までやってそのまま渋谷のサウナに泊まるというスケジュール。8月、ようやくTOEFLが600点を超えた!(607点)。よーし!モチベーションはUPした。G-MATは580点まで上がってきた。しかしまだまだ合格ラインには程遠い。

このブログをご覧になっている人にも経験者がいると思うが、TOEFLの600点はTOEICの875点に相当し、アメリカの大学院の留学基準とされているレベルだ(G-MATは比較するものがない)。会社の先輩MBAホルダーに聞くと、数年前まではTOEFLもG-MATも600点を超えていれば一流校(ランキング10〜15位以内)に合格できたという。しかし専門学校情報では、今やTOEFLは610〜620以上、G-MATは630〜640以上なければ危ないという。ちなみに小生の勤務先の会社は、Business Week誌とUS News & World Report誌が隔年発表するランキングの上位15位までしか入学を認めないという厳しい方針を堅持している。

80年代まで好調な日本経済を背景に日本人学生も歓迎されていた。しかしバブル崩壊後の日本経済の凋落と低迷を受けて、中国・韓国の学生への入学許可が増え、日本人枠は減る一方なのだという。成長する経済を持つ国の留学生はトクである。クラスでの発言(母国の成功事例について)によって貢献できる、学生を通してその国の企業とのパイプもできると学校サイドは考えるからだ。

80年代アメリカ企業の国際競争力は低下し、「日本に学べ」という大号令が掛かった。そして(トヨタの)生産方式や、品質管理、ソニーや本田やキャノンなどの成功事例や日本的経営というものが、ビジネススクールによって徹底的に調査され研究された。そしてGEのシックスシグマや、デルのビジネスモデルなどの成功例が生まれ、またシリコンバレーにおけるIT産業の興隆とニューヨーク株式市場における急速な金融技術の進展という圧倒的な国際競争力を持つに至った。「経営において日本から吸収すべきことは全て吸収した。学ぶものはもうない」という訳である。

加えて米国ビジネススクールは世界的な人気の的となり、そのブームで試験の平均点も合格ラインも年々上がる一方だという。その意味で、僕のその時点の点数は、なかなか浮上しない日本経済と同様、全く競争力のあるレベルではなかった。論文や経歴書と合わせた総合点で見てくれるならよいが、どうも試験の点数は上位の学校ほど足切りに使う、高得点の出願者の願書と論文だけを見る、というのが暗黙の常識になってるらしい。会社も妥協して対象範囲を拡げようとしない。それならば何が何でも点数を取らねばなるまい。

僕はG-MATの「電話帳」と向き合った。一つ一つの問題をじっくりやると、ほとんど正解にできる。しかし大量の問題を短時間でこなさねばならない。逡巡しているとアッという間に時間がなくなる。細かく時間を節約するテクニックを身に付けないといけない。時計を横に置いて電話帳をめくる。何度も何度もめくって書いては時計を見た。

結局、僕はこのあともう一つの試練に遭遇し、またもや悪戦苦闘することになる。そのせいもあってかあらずか、9月にTOEFLで617点、10月にG-MATがようやく600点を超えたものの610点止まり。その後も2〜3回トライしたが、ついに目標値まで改善することは叶わなかった。大きな不安を抱えたまま、エッセイ(論文)が選考者の目に留まることを唯々願いつつ、薄氷を踏む思いで会社が認める全ての学校に出願することになったのである。

もう一つの試練・・・それは妻の突然の発病と入院という出来事だった・・・。
ニックネーム りっち(BBキッズネットワーク主宰者) at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | MBA留学受験記

2005年03月16日

◆再起・・そして再挑戦◆

97年4月に入ると、採用した即戦力の中途社員が続々入社してきた。
皆通信キャリアの出身ばかり。三顧の礼で迎えた人もいる。心強い。僕は嬉しかった。ようやく本格的に闘える体制ができた。役割分担を決めて、僕は@業界団体を拠点にした官庁対策(政策問題)、A広報対策、B社員の一体化策の3点に軸足を移し、取り組んだ。

政策問題では、前年から何度となく政府への意見書を書いており、今度は業界の重鎮達を説得して「業界を代表する意見」にまで持っていった。そうしたら局長クラスや事務次官にまで会えるようになった。

取材にくる新聞記者や業界誌の記者と毎週2〜3回の面談をこなしていくうちに、記者の方々が我々の意見を理解し共感を持ってくれた。彼らが我々の情報発信基地になり、そして新たな情報源になってくれた。

社員は既に300人を超えていただろうか? 外国人vs.日本人、日本人同士の軋轢が目立っていたこの時期、チームワークの確立と一体感の醸成が急務だった。僕は部下のH君と相談して全社のソフトボール大会を企画し実行した。部単位と営業所単位でチームを編成し、家族連れの大きな大会になった。僕は外人チームに入った。そして例によって最も野球センスのいいアメリカ人を監督にした。野球が大好きなアメリカ人が、ゲームに夢中になり、ボールを巡って日本人と本音で怒鳴り合った。こんなこと今までなかったぞ!大成功だ!この大会はその後、皆の共通の話題になった。

受験失敗のショックから僕はもうすっかり立ち直っていた。いやむしろショックに打ちひしがれているヒマがなかったというほうが正しいかも知れない。

朗報が舞い込んできた。前年度の特殊事情を踏まえ、今年度も引き続き研修生候補として、会社が僕を特別に認めることになったという(つまり合格したら費用を会社が負担する)。異例だ。聞けば社長が方々に手紙を書き、働きかけて「なんとかこいつに再度チャレンジさせて欲しい」と頼み込んだ由。何たる厚意、何たる温情。僕は男として、部下として、胸が熱くなった。「やります、社長。今度こそやって見せます・・・。」

再挑戦が決まった。会社の幹部一人一人に、そして部下の一人一人に協力を要請した。「昼間やることはやるから、夜は勉強の邪魔しないでね。」19時になると会議室にカギを掛けてこもる作戦がスタートした。途中までやりかけていた「電話帳」を引っ張り出した。
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2005年03月15日

◇苦闘そして挫折◇

ビジネススクール受験を決心し、部長推薦を得て人事部長と面接。1996年4月MBA研修候補生6名の一人となった。早速調査と勉強に取り掛かった。専門学校の門を叩くと、夜間、教室はやはりMBAを志すビジネスマン達で一杯だった。社費で来る者もあれば私費もいる。2年越し3年越しでやってる人間もいる。皆人生の転機を自ら手繰り寄せようと、必死で英文と格闘している。

電話帳のような問題集を買った。英語は得意中の得意のつもりだったのにボロボロ間違える。6月G-MATのテストを受けた。難しい。こんな難解な試験は初めてだ。時間内に回答が間に合わない・・・。全然勝手が違う。スピード感が合わない。800点満点で結果はなんと530点。トップスクールに入るには最低でも630点、いや競争がどんどん激しくなっていて今や650点位必要だという。次いでTOEFLの本試験を受ける。今度は677点満点中560点。これは最低610点必要だという。それ位取らないと今や願書も論文も見てくれないらしい。愕然とした。連日練習問題に向かった。会食は全部お断りし、土日は図書館に篭った。

しかし、会社を取り巻く情勢はそんな状況を許さなかった。CATV会社による初の電話事業への参入という会社の意思決定。7月になると、某独占的事業者とのネットワーク接続交渉が始まり、その先頭に立つこととなった。9月には国との接続料金算定方式の改定交渉が始まり、米国株主である某電話会社から専門家が続々とやってきた。まるで軍事顧問団だ。外人特殊部隊に唯一人日本人として僕が加えられた。以前国際通信事業の立ち上げと旧郵政省との折衝をしたことがある僕は、そもそもこのために本社から送り込まれていたのだった。前例のない難仕事が嵐のように押し寄せて来た。

僕の勉強時間は次第に削られていった。仕事は深夜に及び、手が抜けない。世界でも最先端の通信政策、その新しい概念と専門用語。これを理解し、多くの関係者に橋渡しもしなければならない。まるで布教活動と柔道と討論会を同時並行してやってるようなものだった。交渉は難航を極めた。どうやって局面打開するか頭を抱えた。会社のために、業界のためになんとかこの壁を突破したい。自分にしかできないことがある。逃げられない。待てよ、俺は留学するんだ。受験生なんだ。通勤電車でテープを聞く。深夜「電話帳」をめくる。会社にくればその何倍もの資料。

いつの間にか秋になっていた。平日は毎日終電近い。学校は週末しか行けなくなっていた。眠い。本試験を受けた。TOEFLは590点まで上がった。しかし、G-MATは530点のまま・・・。やばい。10月再度挑戦。しかし上がらない。タイムリミットは12月。ダメだ〜。11月並行して論文を書き、悪戦苦闘し12月完成。1〜2月ランキング上位10校に出願。その間もしんどい交渉が続く。修正案を電話会社に突きつける。テーブルを叩いて激論になり、ガイジンになだめられる。

3月、僕の目の前には不合格通知が山のように重なっていた。
「Unfortunately,・・・・。」
その上に、ガイジンが分厚い資料を置いてゆく。「リッチ、悪いがこれを訳してくれ。明日の交渉に使いたいんだ。」「・・・・」

完敗だった。甘いものではなかった。もっと仕事の手を抜けばよかったか?
悔しかった。自分の英語能力、学習能力がこの程度だったとは・・・。
僕は打ちのめされた。
「東京の3月って、こんな寒かったっけ・・・・」
身も心も冷え切って、本当に寒かった。夢が砕けて、惨めだった。
ニックネーム りっち(BBキッズネットワーク主宰者) at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | MBA留学受験記

2005年03月13日

◇なぜ留学?◇

「38にもなって留学なんて、今更そんな無理しなくたって・・・」
「いい仕事してんのに、何を血迷ったんだね・・・?」
「その年じゃぁ、G-MATの点数取れないよ、無理じゃない?」
そんな声をよく聞いた。

確かに僕はそれまで順調だった。
どんな難しいビジネスでも、壁を破ってきた。お客様にかわいがられ、上司は僕を信頼して思い切り仕事を任せてくれた。モンゴルにも行ったし、アメリカにも、ヨーロッパにも、アジア各国にも出張した。大企業の中でベンチャーを興すこともできたし、小さな会社の経営もやらせてもらった。国の政策を変えるために、業界団体を作って、官庁や独占企業と闘った。不可能といわれたことを実現してきた。結婚もして、かわいい子供にも恵まれた。

でも、僕には予感があった。
何かが変わろうとしている。自分を取り巻いているこの潮流が、何かとんでもない方向に全てを運び去ってしまうような・・・。そう、津波が一瞬に全てを土砂にして押し流してしまうように。これまでは、もちろん努力もしたが、勢いと幸運で、プラグマティズムでなんとか乗り切れていただけではないか?そんな成功体験も、21世紀には通用しないかもしれない。最も自分を評価してくれた上司、僕が商社マンとして最も尊敬し頼りにしてきた人が、役員昇格を阻まれるや、憤然として会社を辞めた。自分もいつか彼のような状況に立つかも知れない。その時僕は、敢然と組織を飛び出せるだろうか・・・?

僕は閉塞感を感じていた。
官庁、学者、マスコミ、政治家、業界団体。各方面に働きかけ、あらゆる手段を尽くして国の通信政策と産業育成策を変えようとした。有力者に会うためにどこへでも行った。最先端の政策理論を頭に叩き込むためイギリスに飛んで専門家の特訓も受けた。自らセミナーの演壇に立って熱弁を振い、公聴会では高名な学者や官僚と激論した。そして3年掛かって一定の成果を掴んだ。しかしそれだけ必死にやって一体どれだけのインパクトを業界に与えられただろう?こんなガチガチの体制や新しいものを拒む社会経済構造は、自己改革してゆけるのだろうか?やはり外資・外圧という津波が来ないと変わらない国なのだろうか?

僕は限界にきていた。
日米4社による国際合弁会社。均等出資のため重要な意思決定は全員一致条件。日本人とアメリカ人が相互に折り重なる組織はダブルチーズバーガーのようだ。そんな前代未聞の会社の経営企画の責任者になった。効率経営の塊の外資と武士道精神の社長の間に立たされた。内部確執、株主からのプレッシャー。内を固める苦労は外敵との闘い以上に難しい。「前門の虎、後門の狼」とはよく言ったものだ。僕個人の国際間調整、企業間調整能力は限界にきていた。家に帰れば冷め切った夫婦関係。その上に家内の病気。そして入退院の繰り返し。難仕事に加えて炊事洗濯。前後に虎と狼どころか、東西南北の門に化け物がいるような気分。頭がどうにかなりそうだった。どうしてこんなに難問ばかりに囲まれるのか・・。僕は間違いなく限界の淵に立っていた。

「留学、してみるか・・・?」本社の上司の部長が声を掛けてくれた。

様々な経営理論というものを勉強してみたい。そして今までの経験を理論に照らして検証してみたい。アメリカ人のエリートを論理で打ち負かすには、連中が受けた教育を自分も受けておく必要がある。そうすれば同じ土俵で同じボキャブラリーで同じ理論を引き合いにして討論できる。丁度世紀末に差し掛かっている。ここらでビジネスマン人生を一旦リセットして、自分をもう一度鍛え直してみるのも悪くない。それで多少出世が遅れたっていいじゃないか。そして何より海外での新しい生活環境が家庭に新しい風を吹き込み、家族の運命を変えてくれるかも知れない。そうだ。アメリカに行こう。僕は藁にもすがる想いになった。行ってみよう!そうすれば何かが変わる。
ニックネーム りっち(BBキッズネットワーク主宰者) at 11:18| Comment(0) | TrackBack(0) | MBA留学受験記

2005年03月12日

◆受験生◆

受験、そして合格発表の時期である。誰もが経験する切実な局面。
運命とか人生というものを、いやが上にも感じさせる季節だ。
我が家も今回息子が大学受験、娘が高校受験。ダブル受験とあって
家の空気も張り詰めたような数ヶ月だった。

丁度今から7年前、僕は38才の受験生だった。アメリカの大学院
ビジネススクール)に挑戦しようと、TOEFL
G-MAT試験を何度も受け、論文を書き、全米Top
17校を受験した。2月迄に全ての願書を提出し、3月落ち着かない日々
を送っていたのを思い出す。身内に受験生を抱え、その苦闘振りを
見つめ、当時もがき苦しんだ自分自身を振り返って見た。

MBA受験にあたって最初の難関がTOEFLとG-MATである。
TOEFLはアメリカの大学の授業レベルの日常会話のリスニング、文法、
リーディング英作文の試験。GMATはある文章命題に対し所見を述
べる英作文、命題の論理構成を分析批判する英作文のあと、Sentence Correction(文法)、Critical Reasoning(論理的思考)、
Readingと続く。

後半は確率や等差数列を含む数学だ。限られた時間とボリュームの
あるGMATはスピードと正確性が勝負だ。いやはやこの勉強には苦労
した。週3回夜間に専門学校に通い、学校に行かない日は会社の会議
室にこもって勉強した。カセットテープも耳に穴があくほど聞いた。

立ち上げ段階の会社の経営企画を担当していて、だんだん仕事も佳境
に入っていたので、その中での勉強は辛いものがあった。受けても受
けてもなかなか点数が上がらない。電話帳ほどの厚さもある問題集を
2回も3回もやっただろうか?年に何回か受けられるが、ようやく10月
頃にTop校の最低ラインレベルまで辿り着いた。

秋になると、今度はEssay(論文)作り。
職歴に基づいて、これまで何を成し遂げたか、リーダーシップを発揮
した経験、将来展望、自分の個性、なぜMBAか、なぜこの学校かという
テーマで論文を書く。日本人の書く英文はどうしても「moderate」に
なりがちと言われる。「遠慮がちの婉曲な表現」になるという意味だ。
僕も最初専門学校の校長からズタズタに直されたと思ったら、全文書
直しを言い渡されて面食らったものだ。moderate・・・その
奥ゆかしさはここでは不合格を意味する。自分の経験、功績を意義付
けし、他人と差別化し、ドラマティックに表現して読み手を惹きつけ、
全力で自分を売り込まなければならない。

この校長はプロだと思った。人の経歴と最初の稚拙な英文の中身を見て、
セールスポイントを見事に劇的なストーリーに言い換えて「そういう
ことでしょう?」とアドバイスしてくれる。これをヒントに思い切って
構成を変え、渾身の力を込めて書き直し、見違えるようにパワフルに
なった僕の論文を、「よくここまで書き上げた!」と、この人は絶賛
してくれた。

英文の推薦状も必要だ。通常2通から3通。恩師や上司や
取引先に頼む。恩師では逆効果らしい(特に僕の場合は卒業して10年
以上経っているから不自然)。そこで出向していた合弁会社の上司と、
アメリカから派遣されていた外国人幹部、取引先の幹部に頼んだ。

願書を作成し、TOEFL/G-MATのスコア証明をつけて出願する。最後に
面接を終えて、ここに受験活動は終了するのである。
一般の人が想像する以上に大変な作業であることは間違いない。
ニックネーム りっち(BBキッズネットワーク主宰者) at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | MBA留学受験記